開発ストーリー
Salir(サリール)開発ストーリー
Salir(サリール)の開発者は、共立電器産業株式会社(東京都大田区)の代表取締役 会長吉松竹四郎さんです。
1929年生まれと高齢ですが、毎日お元気に出社しています。
吉松竹四郎さんは子供の頃から音楽が好きでした。我流でバイオリンを弾き、将来は演奏家で身を立てたいとの希望がありました。
終戦直後の昭和21年、親の反対を押し切り勘当同然で上京、東京音楽学校(現東京芸術大学)バイオリン科に入学しました。
学資稼ぎのため地下鉄工事のアルバイトで生計を立てながら、東京音楽学校を無事卒業しました。
ところが、思いもよらない不運が彼を待っていました。
地下鉄工事の時給はよかったのですが、仕事の内容は過酷でした。
工事現場でツルハシを握りっぱなしで右手に腱鞘炎を患いました。
これはバイオリン弾きにとって致命傷です。バイオリンは断念せざるをえません。
そこで、東芝関連の音響専門会社でアルバイトをしながら、東京電機大学電器工学科に入学し電気工学を専攻しました。
昭和28年3月東京電機大学電気工学科卒業
その後、昭和32年 株式会社東芝に正式に採用され乾電池用電極の研究開発に従事しました。
昭和37年 にはクラウン株式会社技術本部に招聘されました。
さらに、昭和47年 株式会社ダイエーのダイエーブランド「BuBuTV」の開発に参画しました。
昭和48年 株式会社タムラ製作所研究所に招聘されました。タムラ製作所での研究は、高電圧発生用トランスの製法とその応用でした。このときの仕事がSalir(サリール)の開発に結びついていました。
昭和48年タムラ製作所研究所の廃止を契機に『共立電器産業株式会社』を設立しました。
共立電器産業㈱で最初に開発した製品は、ガスライターのバッテリー着火装置です。
世界初の製品です。国内外のライターメーカーにバッテリー着火ユニットを供給し、高級ライターとして売り出され、世界を席巻しました。
その後使い捨ての100円ライターが出現し、高級ライターは衰退しました。一時は「超高電圧発生トランス」を応用した製品「スタンガン」を開発製造しました。
この超高電圧発生トランスの技術がSalir(サリール)の開発・製造に見事直結しています。
Salir(サリール)開発途上のプラス電極はステンレスで出来ていました。ステンレスは放電で腐食してしまいます。
ステンレス代わる電極材料を発見するのに苦心しました。その結果「プラチナ」が最適であり事を突き止めましたが、いかんせん高価で実用性が無いことが判明しました。
その後10年間に亘る試行錯誤の結果、ついに昭和58年「酸化チタン電極」の開発に成功しました。
酸化チタン電極は、腐食しないことと相俟って、高圧放電電極として使用すると大量のマイナスイオンを発生することを発見しました。
これは大発見でした。
このような経緯でSalir(サリール)が生まれました。
2001年(平成12年)にSalir(サリール)は発売開始されました。
《余聞》
吉松竹四郎さんは、乾電池研究開発の時代、即ち昭和32年㈱東芝研究所に在籍していた頃、松下電器産業(現・Pansonic㈱)の松下幸之助社長と昵懇でした。
当時、松下電器産業の「自転車用乾電池式前照ランプ」の販売に乾電池を供給するという立場で大変な貢献をしました。
そのような関係から、松下政経塾の初代塾長の候補者の一人でした。このことは、吉松竹四郎さん自身がお断りしたとの事です。